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#05|心に火を灯し、社会を旅する

小池 純輝(サッカー選手)

Article: #05|心に火を灯し、社会を旅する

#05|心に火を灯し、社会を旅する

#05|心に火を灯し、社会を旅する

ポストに入っていた一枚のチラシから

人とのつながり――それは私がプロサッカー選手として、そしてピッチの外で世界と向き合う中で、常に大切にしてきたことです。21年の選手生活は変化の連続であり、誰かの心に寄り添うことの尊さを教えてくれる旅でした。

旅の始まりは、静かな日常にありました。ポストに投函されていたサッカー教室のチラシ。そこから踏み出した一歩が、私の心に灯った情熱の原点です。

小学1年生でサッカーを始めました。6年間で育んでもらったのは、技術や体力以上に大切な「サッカーを楽しむ」「サッカーが好きだ」という核となる想いでした。良い時ばかりではありません。うまくいかない時、苦しい時に、体を動かす原動力になるのはこの想いです。

中学は学校の部活動ではなく地域のクラブチームで汗を流し、県内外のライバルたちと切磋琢磨しました。ただひたすらにボールを追いかける純粋な喜びを感じていた、かけがえのない時間です。

何もないサッカー少年だった私が、県内で多くの方に認知され、世代別の日本代表候補にも選ばれ、たくさんの学校やチームからスカウトが届くようになりました。その中から、地元・埼玉のJリーグチームの下部組織(ユース)でプレーすることを決め、プロを目指す決意をしました。

「プロにならなければ意味がない」――高校2年生の暗闇

高校生になると、プロの世界はさらに身近になりました。トップチームと同じエンブレムを背負って戦い、試合にはサポーターの方も応援に来てくださいます。有望な選手は高校生でありながらトップチームの練習に参加する。プロを意識しないことは、ほぼ不可能な環境でした。

1年生の時には全国大会決勝の後半から出場させてもらい、トップチームの練習にも参加しました。決して調子に乗っていたわけではありませんが、このまま頑張ればプロになれるかもしれない、という自分への期待がありました。

しかし2年生という大事な時期に、試合から遠ざかります。思い描いていた姿と現実とのギャップに苦しめられました。今このプレーができていないとプロになれない。今試合に出ていないとプロになれない。今トップチームの練習に参加していないとプロになれない。当時の私は「プロにならなければ意味がない」という焦燥感に囚われ、次第にサッカーを純粋に楽しむ心を失いかけていました。かつて持っていた情熱や、日々の積み重ねの意味をうまく整理できず、自分が大切にしていたサッカーの意義が歪んでしまっていたのだと思います。

そんな2年生から3年生を迎える時、ふと自問自答しました。「何のために俺はサッカーをやっているのだろう?」

原点である「サッカーが好きだ」という純粋な気持ちが、いつしか「プロにならなければ意味がない」という別のものにすり替わってしまっていたのです。もう一度楽しもう。そう思い直したことで気持ちが整理され、3年生になってから結果が出るようになりました。

今振り返れば、苦しかった2年生の時期に諦めず続けたことも大きかったと感じています。うまくいかない時、失敗した時に、考えて行動を起こす。その一つひとつは小さな成長でしかなく、それだけで大きな成果が得られるわけではありません。けれど積み上げていくと、気づいた時には大きく膨れ上がっていました。そこに、原点である「好き」「楽しむ」というメンタルがうまくリンクしたのだと思います。

実際は、ぎりぎりでした。のちにトップチームへ昇格してからGMと話した時、3年生になる時点では昇格候補にすら入っていなかったと言われたのです。

同期2名がプロの切符を掴んでいた中で、私は夏休みの1か月間、ユースではなくトップチームの練習に参加し、プロへの道をテストされることになりました。そこに滑り込めたのは、2年生からの積み重ねがあったからだと思っています。キリキリとした1か月を過ごし、プロになれると決まった時の気持ちは、今でも鮮明に覚えています。

「何のために俺はサッカーをやっているのだろう」。暗闇の中でそう自分に問いかけた時間こそが、私の生き方を大きく変えることとなりました。

憧れの人たちと、同じピッチで

プロサッカー選手としてのキャリアは、浦和レッドダイヤモンズでスタートしました。当時は多くの日本代表選手が在籍し、スタジアムを埋め尽くすサポーターがいて、サッカーに専念できる環境がある。どこを切り取っても日本一のクラブでした。

3年間でJリーグ優勝、天皇杯優勝、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)優勝、クラブワールドカップ3位。今思い返しても輝かしいタイトルばかりです。ただ、私自身が出場した試合は多くありませんでした。

当時試合に出ていた先輩選手たちは、とても偉大であり、憧れであり、誇りでもありました。それゆえに、自分との大きな力の差を感じていました。悔しい気持ちもありましたが、それ以上に実力不足なのだと思っていました。試合に出たかった。もっとうまくなりたかった。

それでも、あの当時のレッズだからこそできた経験がたくさんあったと思っています。私の土台を作ってくれたのは、間違いなく浦和レッドダイヤモンズでした。

「後ろのポジションはできるか?」

プロ4年目は、当時J2のザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)へレンタル移籍しました。初めての移籍で、まったく違う環境にドキドキしていたことを今でも覚えています。Jリーグに昇格してきたばかりの新しいチーム。ここで結果を出さないとプロへの道は絶たれてしまうだろうと、覚悟を持って挑みました。

そのような気持ちで迎えた開幕戦の翌日、監督から呼び出されました。

「後ろのポジションはできるか?」

想像していなかった質問でしたが、すぐに理解しました。ポジションのコンバートです。長くプレーしてきたフォワードから、サイドバックへ。こだわって断ることもできましたが、ポジションよりもピッチに立ちたいという気持ちが強かったので快諾しました。

最初は自分の弱みに目を向け、守備を克服しようとチーム練習後に自主練習をおこなっていました。しかし、少し練習したぐらいで本職のディフェンダーに並べるはずもありません。ここで、なぜ監督は私をサイドバックにしたのかを改めて考えました。監督は私の守備力ではなく、攻撃力でチームに貢献してほしいと思っているはずだ――そう気づいてからは強みである攻撃にフォーカスし、必死に食らいついてきました。その結果、サイドバックでありながら年間で6ゴールを取ることができました。

変わらない自分の強みを、環境や役割にどうアジャストさせて貢献するか。この年に学んだのは、そのことでした。

Jリーグ7チームで18年、JFL2年、関東リーグ1年。チームや監督の変更、ポジションチェンジと、常に変化の連続でしたが、それは私自身の経験、人間的な資産となっていき、多様な環境に適応する柔軟性を養ってくれたのです。

愛される選手になりたい

21年のキャリアの中で、7年間在籍した東京ヴェルディでの時間は特に大切にしています。200試合以上に出場し、50ゴール以上を取った、最も充実した時間でした。

2011年、2012年に在籍して少しチームを離れましたが、2019年に復帰。32歳の年に初めての二桁得点となる16ゴールを取り、サイドバックで取った6ゴールをようやく上回るキャリアハイとなりました。さらに2021年には17ゴール。34歳でキャリアハイを再度更新し、J2リーグの日本人得点王(全体3位)になることができました。

ピッチ内だけでなく、ピッチ外にも目を向けてきました。応援してくれる方に何かをしたいという気持ちは、もともと強くありました。

プロ1年目のことです。当時のレッズには選手のポストカードがあり、シーズンの初めに5500枚を渡されました。名前を覚えてもらえるように頑張ってサインをして配ってね、と言われて、正直びっくりしたのを覚えています。それでも1年目は全部配りきって、おかわりをもらいました。配り終えた選手は、おそらく他にいなかったと思います。

SNSが盛んになってからも同じでした。ブログを2年間毎日更新し、負けた試合のあとも何を感じていたかを素直に書きました。良い時だけ発信するのでは一貫性がないと思ったからです。今でも、コメントやメッセージにはすべて返信しています。

東京ヴェルディ時代には、SNSで「スタジアムグルメがもっとあってほしい」という投稿をよく目にしていました。これなら自分にもできるかもしれない。そう思って、チームメイトだった梶川諒太選手とキッチンカーを購入し、ヴェルディのクラブカラーである緑に塗装して、ホームゲームの日にだけ出店しました。ヴェルディを盛り上げたい、という気持ちだけでした。

年間何試合出場したい、二桁ゴールを取りたい、何年プロ選手としてプレーしたい。そうした定量的な目標だけでなく、サポーターの方が何を考えているのか知りたい、喜んでもらいたい、といった定性的な目標も立てるようになりました。

それぞれの目標を並列に置いて取り組むうちに、目標の上に、自分がどうありたいかという、おぼろげだった目的が明確にあることに気づきました。

「愛される選手になりたい」

これが、私が実現したい目的(ありたい姿)です。プレーで活躍したいという思いと並べて、応援してくださる方との関わりを大切にしてきたのですから、この言葉が出てきたのは自然なことでした。

愛される選手になるためには、試合で結果を出す必要がある。同時に、サポーターの方に寄り添うことも欠かせない。目標だと思っていたものが、実はすべてこの一つの目的に紐づいていた。そのことに、ようやく気づいたのです。

目的が定まったことで自分に軸ができ、行動にブレが少なくなりました。目の前の目標が強い意味を持ち、日々が彩られていったのです。

必要なのは、ボールではなかった

すべての始まりは、横浜FCに在籍していた頃でした。知人から「交流のある児童養護施設があるから顔を出してもらえないか」と頼まれたのです。正直なところ、少し顔を出すくらいの軽い気持ちでした。訪ねたのは、湘南ベルマーレでプレーしていた梶川選手と二人です。

ところが、待っていたのは驚くほどの大歓迎でした。そのまま子どもたちと一緒にサッカーをすることになりました。

しばらくして、その子たちがスタジアムに応援に来てくれました。サッカー専用のスタジアムはピッチとスタンドが近く、私はサイドのポジションでしたから、試合中ずっと子どもたちの応援してくれる声が聞こえてくるのです。嬉しかった。

ですので、シーズンが終わったあと、今度は私のほうから施設を訪ねました。久しぶりに会うので、忘れられてしまっていないか心配でした。けれど子どもたちは、初回とまったく同じ熱量で迎えてくれました。

この子たちにサッカーを通じて何かできることはないか。そう考えるようになりました。

最初に思いついたのは、サッカーボールを寄付することでした。しかしそれは自己満足に終わってしまうかもしれない。そう思い直し、施設の職員の方に支援活動をしたいと伝え、子どもたちにとってどんな支援が良いのかを相談しました。

返ってきたのは、私が考えていたのとは違う答えでした。

施設の子どもたちの多くは、18歳で施設を離れて自立していきます。当たり前に受けられる親からの支援がない子もいて、夢や目標を持ちにくい環境がある。だからこそ、プロサッカー選手という夢を叶えた私と触れ合うことで、化学反応が起こってほしい。交流をきっかけに夢や目標を持ち、頑張る力になれば嬉しい。そう言われたのです。

必要なのは、ボールではありませんでした。会いに行くこと。しかも一度ではなく、継続して会いに行くこと。職員の方の言葉を持ち帰り、梶川選手と話し合いを重ねて支援の形を決め、F-connectという名前をつけて活動を始めました。のちに法人化し、それが今の一般社団法人F-connectです。

その子は、行動を変えた

子どもたちとの触れ合いの中で、スポーツの価値やアスリートの価値を感じた出来事があります。ある児童養護施設を訪れた時のことです。

初めは距離を感じていた子どもたちが、私がボールを蹴り始めると生き生きとした表情で近づき、一緒に輪になってボールを追いかけてくれました。あの日の光景は、今でも鮮明に残っています。

「普段なら絶対にサッカーをやらない子も、一緒になってボールを追いかけていて驚きました」

職員の方にも、そう言われました。私がプロサッカー選手だったからか、みんなの様子が楽しそうだったからか、理由はわかりません。それでも、その子が行動を変えたことは大きな価値だと感じています。

こうした出会いや経験を通じて、私は、相手の心にある思いや感情に寄り添うことが、本当の豊かさをもたらすのではないかと考えるようになりました。技術でも体力でもなく、心が動くこと。それがすべての起点なのだと思います。

心の火を消さないように、大きく灯せるように

現在は、一般社団法人F-connectのほかに、株式会社コトイマを運営しています。コトイマでは、組織づくりの事業、そしてスポーツ事業として7人制サッカー(ソサイチ)チームの運営をおこなっています。

組織づくりの事業のコンセプトは「人と組織を育て、ファンをつくる」。組織は仕組みや戦略だけでなく、「人の心」が通うことで機能します。人・チーム・組織の成長を支える組織開発と、社内外に愛着(ファン)を生み出すブランディング。この両輪で、永続的に発展する組織づくりをご支援しています。

7人制サッカーチームのクラブミッションは「こころに灯を」です。誰にでもチャンスはあります。心に火を灯し、情熱を持ち挑戦する姿を、ぜひご覧いただきたい。世界で活躍できるチームを目指して挑み続け、世界中の人に夢やワクワクの原体験を届けたいと思っています。

こうして書き並べてみると、すべてがつながっています。

一枚のチラシが、私の心に火を灯しました。サポーターの声が、ピッチの上の私を動かしました。そしてボールを蹴っている私に、子どもたちが近づいてきてくれました。私がしてもらったことを、今度は私が誰かにしている。ただそれだけのことなのだと思います。

私が大切にしてきた「すき」という気持ちが、今の活動の核心にあります。

これまで9クラブでプレーした中で出会った人たち、F-connectで出会った子どもたち。つながりの中から、私は多くの気づきや学びを得てきました。私が旅してきた社会とは、結局のところ、その一人ひとりの心だったのかもしれません。

今年で39歳を迎え、サッカー界では決して若くはありませんが、サッカーもビジネスも心に火を灯し、今できることを全力でおこない、まだまだ成長していきたいと思います。

あなたの大切にしていることはなんですか。この文章があなたの人生の豊かさを考えるきっかけとなれば、これほど嬉しいことはありません。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。私の経験が何か少しでもお役に立てていましたら幸いです。またお会いしましょう。

 


小池 純輝(Junki Koike)
1987年生まれ/埼玉県出身

高校卒業後、Jリーグの浦和レッドダイヤモンズに入団し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタート。東京ヴェルディや横浜FCなどでプレーし、公式戦500試合以上に出場。現在はCOEDO KAWAGOE F.Cに所属している。

現役アスリートとして活動しながら株式会社コトイマを設立。組織開発・ブランディング事業と、サッカースクールや7人制サッカークラブ(ソサイチ)の運営といったスポーツ事業を主な事業とする。また、児童養護施設の子どもたちを支援する一般社団法人F-connectの代表も務めている。

イラスト @Naoto Takamatsu

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