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#03 | モノヅクリから見た社会

渡利 ヒトシ(wonderbaggageデザイナー|株式会社BATON代表)

記事: #03 | モノヅクリから見た社会

#03 | モノヅクリから見た社会

#03 | モノヅクリから見た社会

社会と“見えない型”への違和感

 私にとって社会とは、人と人が関係を結び、その無数の線が重なり合いながらひとつの秩序を形づくる「関係の総体」であるとみている。それは目に見えない網の目のようなもので、私たちはその中に生まれ、日々を過ごし、いつのまにかその一部として機能しているような感覚をもっている。

 社会は家庭、学校、職場といった小さな共同体にも存在し、それぞれにルールや価値観、秩序がある。人はその中で役割を与えられ、その一端を担う。だが、その構造はいつしか「息苦しさ」として感じられることがある。私は幼少のころから、社会の中に流れる“見えない型”に、どこか違和感を抱いていた。

 私の家庭はごく一般的な家庭で、世帯所得としては中央値に該当する家庭だったのだろう。親からは「良い大学へ行くことが、人生において成功する絶対的条件だ」と言われ続けていた。しかし、その言葉に対して私は常に違和感を抱いていた。なぜ良い高校へ行き、良い大学へ行くことが大切なのか。その理由に納得できないまま年齢を重ねた。

 当時は親の言うことを聞くことが当たり前とされていた時代であり、学校の中では共同生活における連帯と、そこで形成される価値観が支配的だった。その価値観を受け入れなければ、共同体の中からはじき出されるような感覚を覚えていた。自分の中では疑問に思いながら納得できないながらも、その中にとどまるしかない状態が続いていた。

 そうした心の状態は、社会に出るまで続いていく。


デザインとの出会いと自己形成

 私はもともと勉強を嫌っていた。というより、勉強をする意味を見いだせていなかった。結果的に親の期待には応えられず、大学受験に失敗し、進学を諦めることになる。当時でいえば不出来な子どもだったのだろう。

 その後の一年間はとにかく時間を持て余した。依然として大学へ進学させることが当たり前の両親は勉強をさせようと苦心したのだが、やはり私は無気力なままだらだらと時間を費やしていた。そうした時間が過ぎていくうちに私の内面にも焦りが生まれていく。このまま年齢を重ねていっても何も起こらないこと。その先の自分の人生を想像したとき何もないことに恐怖を覚えたこと。そうして初めて自分の人生というものを見つめようと考え出した。

 何を自分にとって仕事として携わりたいのかと考えたとき、そこにあったのは自分がこれまでに夢中になっていたコトからひも解くことだった。80~90年代に多感な時期を過ごした私は、ちょうど日本も景気がよい時代であり様々な娯楽にあふれていた。雑誌やテレビなどのマスメディアにも多大な影響を受けた私は、モノに囲まれ刺激を与えられていたといって間違いないだろう。そうした消費のあおりを受けた自分は様々なモノに欲を抱き、感化されていた。その中において、私が当時興味関心が強かったことが"デザイン"だった。こんなにも消費欲を掻き立てるモノに対してデザインというものが付与されていること、そしてなによりデザインが自分にとって重要な要素であった。しだいに私はデザインというものに強く興味を抱くようになっていた。インテリアだったり、オーディオだったり、スニーカーだったりとまさにデザインされたモノは私を夢中にさせてくれた。

 そんなデザインに携わる仕事がしたいという思いを抱き、その結果デザインの専門学校へ通うこととなる。そしてここが自分にとって初めて「真剣に学ぶ」行為だった。二年間の学習を経て、いよいよ就職活動の時期を迎えるが、その時期はまさに世間で言われていた“就職氷河期”の真っただ中である。だが、このような社会的出来事にも悲観的にならずにいられたのは、そもそも大学に行けていない自分を卑下する気持ちがあった一方で、「働けること自体がラッキーだ」という感覚でいたからだ。

 そうした中で、私を雇用してくれるデザイン会社はどこでもよかったのだと思っている。


 その後、運よくプロダクトデザイン事務所に勤務することができた私は、今でいう"ドブラック"な環境でも、大好きだったデザインを仕事として行えたこと、そして労働を通じて給与を得るという社会参加の実感が、過酷な環境でも不思議と充実して働くことを可能にしてくれたように思う。デザインの仕事においては、まず自分の手がけたプロダクト(商品)が世に出てほしいという、至極純粋でまっとうな想いが目標だった。自らが手がけたデザインが、日常自分で足を運ぶ店に並ぶ。それはデザイナーにとってある種の目標であり、憧れでもある。私もそんな思いを抱く人間だった。そしてありがたいことに、所属していた事務所ではそうした機会に多く恵まれ、私の手がけた商品をさまざまな場所で目にすることができた。

これらの時間は、それまで家庭や学校という小さな世界で疑問を抱き、腑に落ちない状況の中にいた私にとって、自ら実践して社会参加できたという実感を得られる、とても刺激的で充実した時間だった。

しかし、そうした刺激も充実感も回数を重ね、時間を重ねるごとに、また違った景色を見ることになっていく。


モノヅクリの構造への疑問

 社会には経済市場原理が存在する。

 企業は売上(利益)を得るために協業・分業体系を成し、そこに競争が加わり、社会全体が資本主義という方向へ力強く進んでいく傾向がある。その世界では、他社と市場シェアを取り合うために、毎年新しいモノやサービスが生み出される。非常に効率的で合理的、かつスピーディーな世界だ。当然、私の所属する会社においても、クライアントの商品企画やマーケティングから降りてくる資料を基に、その競争に勝つべくデザインを提案し続けていた。毎年提示される資料に対してデザインを提案し、落ち着く暇もなく次のプロジェクトへと移る。そうこうしているうちに、同じ商品の翌年モデルが求められる。このサイクルは、会社の継続・発展のため、そして同業他社との競争のためにも避けられない構造だった。

 しかし、当初憧れを抱いていたプロダクトデザインという行為に対し、次第に違和感を覚えずにはいられなくなっていった。

 そのサイクルの正当性は、あくまで経済市場原理の中での正しさであり、人間が本来必要とするものとは少し異なるように感じられた。また、デザインがモノヅクリ全体の中でどの程度機能しているのかも不明瞭だった。自分のデザインが市場でどのような成果を生んでいるのか知る術はなかった。企業の担当者から「良いデザインが上がった」「おかげさまで売上が上がった」と言われても、その結果は企画や営業、生産、販売など、多くの人々の努力が重なって生まれるものだ。

 当然、デザインだけでモノが売れるわけではない。では、「デザインだけで売れる」とはどういう状態なのか。その答えを出すのは、自分の立場では難しかった。それでも私はデザインの可能性を信じていた。前述したような違和感に対して、一石を投じたいという気持ちがあったのだ。デザインを通じて、自分なりの「正しいモノヅクリ」の形を見出したかったのだと思う。

 私が働いていた2000年代は、日本のモノヅクリがピークを迎えつつ、新しい時代へ移行する時期でもあった。アナログからデジタルへ、ハードからソフトへ。アップルのiPodの登場によって、それは本格的にシフトしていった。さらにリーマンショックや東日本大震災を経て、日本の製造業にも変化が訪れる。私が携わっていた地方のモノヅクリの現場では、グローバル化の波の中で変化に適応できない企業が目立ち始め、かつての勢いは次第に失われていくようになる。

 そのころ、私は勤めていた会社を辞め、フリーランスとして活動していた。以前と同じようにクライアントからの依頼を受け、デザインを生業としていた。仕事はありがたいことに順調だったが、他方で「一個人として、この変化の中で何ができるのか」を模索していた。そこで私は、フリーランスとして働きながら、一つの行動に出た。それは自らブランドを立ち上げ、実際に販売することだった。

 2011年4月、スニーカーブランド〈blueover〉を立ち上げた。

 これまでプロダクトデザインの世界でしか働いてこなかった自分には、思い切ったチャレンジだったが、常に感じていた消費サイクルや国内製造への課題に対して、何かしらの答えを見たいという欲求から生まれた行為だった。デザインの力を試したかったということも嘘ではないが、副次的だったと思う。


 振り返ると、社会に出て家庭や学校からの抑圧からは解放されたが、働くことで新たな疑問を見つけようとする自分がいた。生きていく過程で目にする事象に対して疑問や課題を見出す。それは無理に思いつくのではなく、自分の生き方と照らし合わせたときに生まれるズレに対して、「社会はこうだから」という言葉で終わらせず、なぜそうなのかを無意識に問うているからだろう。そして、それは自分らしさの一つでもあるのかもしれない。

 私は人生の過程でモノヅクリにかかわり、仕事として社会参加してきた。私にとって、モノを作り、売ることはとても身近で当たり前だったことのように思う。モノは私たちの暮らしを便利にすると同時に、いまの大量生産、大量消費の構造は人にも地球環境に対しても相当なストレスを与え続けている。心の疲弊と環境への負荷は、どちらも「行き過ぎた消費構造」がもたらす同じ問題の両側面だと感じている。「行き過ぎた消費構造」に対し、私が行う仕事はその問題の答えを導き出さなければならないと考える。


 私が初めて立ち上げたブランド〈blueover〉は、純国産スニーカーブランドとして今も続いている。速い消費サイクルの構造から距離を置き、分業体系の地方製靴工場と協業しながら、モノヅクリの持続的可能性を模索するブランドだ。そして2012年には新たに〈WONDER BAGGAGE〉を立ち上げる。このブランドも〈blueover〉と同じ位置づけのバッグブランドである。

 どちらも服飾雑貨としてカテゴライズされ、商流も同じ性質を持つ業界に属している。ブランドは企画・デザインを行い、工場と連携して製品を作る。そして在庫を抱え、プロモーションや販促を行い、卸や小売として市場に流通させていく。いわゆるSPA型の立ち回りに近いスタイルだと言える。

 いずれも一般的な大きなブランドに対し、私たちのブランドは開発サイクルが長く、一つの商品を長く販売する。過度な在庫も所有しないようにしている。そして、使っていただく方には、何年も愛用いただき、修理を重ねながら大事にその製品を使ってくださっている。モノを通じて同じ想いを共有できていると感じることは非常にうれしい。それでもまだまだ私たちのビジネス規模は小さく、スモールビジネスとして何とか成り立ってはいるが、自分の目指す理想と現実のはざまで常に葛藤している。自らが抱いた疑問と解決への信念を続けるために試行錯誤を続けている。


ブランドと社会への応答

 過去にあった家庭や学校での小さな世界の価値観、そして働いてからも、私は常に疑問や違和感を抱いていた。その疑問や違和感を解決するためには何かしらの行動が必要であり、そのたびに解決したと思えたことは、別の形で大きくなって新たな課題として現れる。デザイナーからブランドを立ち上げ、自分たちで販売していくことになりモノヅクリの立場となった今、私が過去に強く影響を受けた"仕向けられた消費"に対しての疑問が立ちはだかっている。

 モノヅクリにおいての社会は強力に資本主義が駆動している。モノを生産し、貨幣交換によりサービスを成立させ、企業に利潤をもたらす構造。昨今では資本主義がもたらす新自由主義はその行き過ぎた競争によってさまざまな弊害を生み出していると、私は感じている。

 この行き過ぎた競争の弊害は疑問を抱いて十数年たった今でも、根本的には変わっていないと思っている。むしろ技術革新によってモノだけでなく、コトや情報までもが大量に消費され始め、可処分所得に加えて可処分時間の奪い合いも起きている。あらゆるものに価値を植え付けられ商品になりえる状況の中では、生産者も金銭的インセンティブのために無尽蔵に時間を奪われているように見える。

 それらの行き過ぎた行動は、地球環境への負荷に加えて、人の心をも疲弊させ、健全な精神を保つことを難しくさせていく。過剰なネオリベラリズムが進行するなか、人が常に金銭的インセンティブを求め続ける限り、健全な精神とは逆の方向へ向かっていくのではないか。

 それでも私たちの仕事は、この資本主義経済下において、人らしい健全な消費サイクルと精神の回帰を目指すべきだと考えている。そのためには、この早すぎる社会の中で人間が「知」を得ることが必要だと思う。いま置かれている状況を正しく認知し、客観的に自分を判断できるようになることが大切と思うからだ。そうすれば、この早い流れの社会の中でも、自分を見失わず健全な精神を保つことができるのではないかと考える。一人ひとりがそうした視点を取り戻すことが、過度な金銭的インセンティブだけに縛られた働き方や消費のあり方を見直すきっかけになる。そうすることで、金銭的インセンティブからの解放、環境負荷への改善へと目線を移すことができるのではないかと考えている。私にとって仕事とは、社会構造に対して自分の内的信念を具体化し、他者と共有する手段とみている。

 社会は多くの人間活動によって形成されている。

 私たちはWONDER BAGGAGEのバッグを通じて、持つ人が仕事を通じて他者を知り、そこから自分を知ることができるようになってほしい。一方で自分を正しく理解し、変化を受け入れる感性を持てるようになってほしいとも思っている。そのためには、消費を促すための一過性の過剰に演出されたプロダクトではなく、普遍的で美しいプロダクトであることが大事としている。素材は長く使用に耐えうる丈夫なものや、経年変化を伴う革を採用している。それは時間とともに所有する喜びを得られるような製品を目指しているからだ。そうした価値観をもって作られた製品を使う人は、同じ価値を共有することができると信じている。

 モノヅクリにおいてもビジネスモデルの変革を願うが、人の連帯によって形作られた強固な体系は、なかなか変えることができない。携わる人の生活を捨ててまで、不確かな可能性に賭けることができないからだ。モノやコト、情報すべてが何かしらの価値となり、お金に換えられる世界において、「自分自身であること」の価値――それは金銭的価値ではなく、自らの幸福を得るための価値を見出してほしいと願っている。その結果として環境配慮にも目が届くようになるのではないか。

 私たちの作るものは、そのためのバッグであり、靴でありたいと思っている。

 そして、モノだけでは補いきれない「視点の転換」や「他者を知るきっかけ」をつくるために、このコンテンツをはじめることにした。このコンテンツはまさに他者を知ることのきっかけとして機能することを目的としている。様々な識者たちの社会観と仕事観を、読む人の価値と重ね、学びとなることを願いながらこのコンテンツを進めていきたいと考えている。

 


渡利 ヒトシ HItoshi Watari

Wonder baggage デザイナー|株式会社BATON代表。スニーカーブランドblueover、バッグブランドwonder baggageなどを展開。行き過ぎた消費による、環境や人への過度な負荷となる消費社会の歪みの軽減を目指したモノの在り方を模索。変化する社会環境のなかにおいてモノの意味を考え、国内生産の継続の可能性を探っている。

イラスト @Naoto Takamatsu

 いとなミズムはバッグブランド”wonder baggage”が、ブランドコンセプトを体現するためのメディアコンテンツ。メインユーザーであるビジネスパーソンに向け、様々な業種からの「仕事」を通じた「社会」のありようを知ってもらい、読み手は書き手との差異を認知し、いまの自分をより俯瞰しメタ的認知を狙う。

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