記事: #01 | 人と人のあいだで生きる 前半

#01 | 人と人のあいだで生きる 前半
人と一緒にいるとき
僕たちはなぜ、仕事をするのだろうか。
どこから手をつけていいかわからない話だ。
あまりにどこから手をつけていいかわからないので、ちょっとしたエピソードからはじめることにする。
さて、あなたが見ず知らずの村に着いた。だれも知り合いはいない。あなたはその村でするべき仕事もないし、学校やNGOのような現地で所属する機関も持たない。でも、あなたは最低でも1年間そこに住み、そこに暮らす人々と一緒に生活していくことになる。
そんなことありえるだろうか、ちょっと経験したことのない奇妙な状況ではないだろうか。
誰も知り合いがいない状態なのに、見ず知らずの場所に住まなければならない。僕たちがそんな状況に陥ることはあまりない。普通は自分の家の周りには自分の家族や親戚がいる。そうでなくても、公園の砂場や保育園や小学校で知り合った友達たちがいる。自分の家が村のどこにあるかはよく知っているし、どこに行けば食べ物を買うことができ、困ったら誰に相談すればよいかわかっている。これが普通だ。
もしかしたら、親が転勤族であるとか、自分がたまたま転勤の多い仕事をしているといった理由で見ず知らずの土地に何度も引っ越す経験をしている人もいるかもしれない。だが、その場合だって、通うべき学校や職場が存在するはずだ。もちろん引っ越した先にうまく馴染めないこともあるだろう。だけれど、少なくともその学校に通う児童であるとか、その会社で働く従業員であるといった身分は保証されている。
では、だれも知り合いのいない未知の土地で何の身分もなく何年も住むなんていう馬鹿げたことなどあり得ないのだろうか。
それがあり得るのだ。
自ら進んでそういったことを経験する仕事がある。
文化人類学者である。
文化人類学とは、人類の社会や文化を研究する学問の一分野だ。多くの場合、異邦での長いフィールドワークを行う。文化人類学のフィールドワークでは、1〜2年ほどの比較的長期間調査したい人々の町や村で現地の人々と一緒に生活しながら、その社会や文化を調べていく。ただ、インタビューしたり、人々の生活を眺めて観察したりするだけではなく、祭りがあれば一緒に神輿を担ぐし、狩猟に出れば一緒に獲物を担ぐといったようになるべく人々との生活に没入することで、現地の人たちを知ろうとする「参与観察」と呼ばれる手法を取る。
見ず知らずの場所で、見知らぬ人々の間に入っていくのは、概して難しい。
話しかけていい人かどうか、相手がどんな人かどうか、どのような人物であれば受け入れてもらえるか、まったくわからないからだ。
場合によっては、自分の先生や先輩が調査していた土地を研究することで、知り合いのいる場所で調査を始めることができることもあるかもしれない。でも、そうでないこともある。まったく知り合いのいない土地で、ただ「1年間はそこにいる」ということだけが決まった状態でその土地に到着する若い研究者たちもいる。
かく言う僕もその一人だ。
2011年の9月、22歳の僕は一人でキューバに向かった。だが、一人の知り合いもいない。言葉もおぼつかない。ただ、「地球の歩き方」と「ロンリー・プラネット」で仕入れた、空港から市街地までのタクシーの相場だけを頼りに現地に到着した。
そこから先は滅多にない幸運があったので僕のケースはあまり当てにならない。何とかたどり着いた下宿で、大家がメモを渡してくれたのだ。そのメモは僕の前にその下宿に住んでいた日本人が残したもので、キューバ人の友人の連絡先を控えてあるものだった。僕はメモの指示通りそのキューバ人たちに電話を掛けた。その時知り合った人たちとは僕の研究生活を通して友人であったし、キューバに行かなくなって8年経つが、いまだに連絡のやり取りがある。
この時の友人たちと共に過ごすことで、キューバ社会になんとなく居場所を見つけ、何年も通い続けることができるようになった。
残念ながら、僕自身のフィールド経験は今回のテーマにあまり相応しくなかったので、他のエピソードを通して、「見ず知らずの人々に入っていく」経験を検討してみよう。
現在、僕は東京にも拠点を持っている。
もともと九州出身なので、地元の大分や学生生活を過ごした福岡を長らく拠点としていた。東京で長い時間を過ごすようになってからは日も浅い。初めてキューバに行ったときと同じように見知らぬ土地、知り合いのいない場所だ。幸い日本語が通じる以外は、あまり変わらない状況だ。
言語以外にも違うことがある。今回はメモがない。僕と、「一人目の友人」をつなぐメモが僕にはなかったのだ。さて、どうしようということになる。
東京に来てからしばらくして、知人にバーに連れていてもらった。そこで供されるお酒は珍しい上に美味しくて、僕は一発で気に入ってしまった。それから、何度もその店にお邪魔した。東京での初めての年越しでは、行く当てのないままにそのバーで年を越したほどだ。
そうこうしているうちに、バーが開催する餅つきに招待された。
バーの店主がお客さんに声をかけて餅つき大会をするという。
僕は見知らぬ人がたくさんいるパーティが苦手なので、参加を躊躇った。普段なら断っただろう。だけども、見知らぬ人たち、つまり東京の人たちの中に自然と入っていける機会はそうそうないと思い直し、参加することにした。
当日、「汚れても良い服装で」との指示があったのでエプロンをつけていくことにした。会場に着くと、おしゃれな格好をしている人がたくさんいる。上下ジャージを着て、エプロンを着けているような「公民館の餅つき」スタイルの人間はいない。初手から外している。
ちらほらと東京でできた知人もいるが、数十人の集まりのほとんどは見知らぬ人である。僕は配られるままにお酒を受け取ると、呆然と立ち尽くした。
バーでも定食屋でもジムでも同じだ。「何となくみたことがある人たち」が近くにいる。そのときに、一言話しかけるか、話しかけないかは一つの大きな決断だ。そして、僕は後者を選びがちである。
バーのマスターや定食屋の女将さんがいれば、「何となく顔見知り」の常連同士をうまく繋ぐように立ち回ってくれることもあるかもしれない。でも、数十人の集まりでは「ホスト役」が人と人を繋ぐように立ち回るのにも限界がある
訳のわからぬままに餅つきに来たことを後悔し始めたとき、「餅米が炊き上がった」と誰かが歓声を上げた。おもむろに何人かの男性が杵と臼を湿らせはじめた。二人がかりで運び込まれた餅米は臼にあけられた。杵を持った男たちが餅米を押しつぶし始める。そろそろ米がいい感じに潰れてきたころ「餅をつきたい人はいませんか?」と声が掛かった。
僕はここぞとばかりに手を挙げて、餅をついた。
力任せに杵を振るっていると、自然と「よいしょ!よいしょ!」と観衆から合いの手が入り始めた。僕が餅をつくのにあわせて、会場が盛り上がる。
餅は偉大である。
集団を一つにしてくれる。
ひとしきり餅をついたあと、後続に杵を譲った。
そのあとは、餅を切ったり、丸めたり人々に配ったり。
ひとしきり働いているうちに、居心地が悪いのも次第になくなっていった。
餅を作るのにも、意外に工程があり、何十人分もの餅を着くのにはやはり連携が必要だ。
見ず知らずの数十人が力を合わせて、すごいスピードで餅を製造していく。(スピードを出さないと餅が固まっていくからだ。ちんたらやってはいられない。)
人間と人間が有機的に連動し、一つの生き物のように動く。餅米を炊き、餅をつき、切り、丸め、調味して、配る。すごい連動だ。
僕は、ここに「社会」をみた。
「社会」というもの
さて、「社会」とはなんだろうか。
日本国語大辞典にはこのように紹介されている。「人々の集まり。人々がより集まって共同生活をする形態。また、近代の社会学では、自然的であれ人為的であれ、人間が構成する集団生活の総称として用いる。」
つまり、人々が集まっている場所、そのものが「社会」なのだという。
そもそも「社会」という概念は英語のsocietyやそれに類するヨーロッパの言語の概念を明治期に日本に輸入してきたものだ。訳語に当てた「社」と「会」はもともと中国の古典から取られた。中国語においては、「社(shè)」は「土地の神を祭ったところ」、「会(huì)」は「人びとの集り」という意味だという。なので、「社会」とは、土地の神様の祀る人々の集まりを指している。
この言葉を「society」の訳語として当てたのは、こちらも似たようなニュアンスを持つからだ。英語「society」はラテン語のsocietasがフランス語を経由して入ってきた言葉で、societasは仲間,共同,連合,同盟といった意味だったらしい。
また、ドイツ語で社会を意味する「gesellschaft」の語源も「同じの部屋にいる仲間」を意味するというので、やはり共通する意味合いがある。
つまり、「仲間」の集まりが「社会」の本質的な観念というわけだ。
しかも、この「仲間」は家族であるとか、親戚であるといった血縁関係や近隣に住んでいるもの同士といった地縁関係ではなくて、契約や協働、共通目的による結びつきを指していたようだ。要は、「仕事」を通した人間関係の集まりが「社会」の元々のニュアンスであった。
ここで、餅つきの話にちょっと戻ってみよう。
見知らぬ人々の集まりのなかで、ひとりぼっちの僕は、「餅をつく」という行為を通して、集団に馴染んでいったと述べた。それは、「餅をつく」という行為が「スマホをいじる」とか「酒を飲む」とか「立ち尽くす」といった行為と少し性質が違うからなのではないかと考える。
こう考えてみては、どうだろうか。
「餅つき」には、他の行為と違う二つの側面がある。
ひとつは、それが「仕事」とみなせるという点。
もうひとつは、その「仕事」が「みんなのため」であるという点だ。
僕は自分がついた餅を独り占めできるわけではない。当たり前に思うかもしれないが、僕たちは日々の生活の中では少し違う観念も持ち合わせている。
僕たちは会社で働いても、その給料を見知らぬ誰かと分け合ったりしない。投資をしても、その収益や損益を誰かと分け合ったりはしない。僕たちは日々の生活では、仕事の対価を独り占めしている。
だが、「餅をつく」のは、明らかに「みんなのため」だ。そもそも、僕は「みんなに配るために餅をついた」のだ。より厳密にいうと、バーの店主が差配し、組み立てた場において、一つの歯車として餅をついたに過ぎない。だが、餅米を炊くのも、つくのも、切るのも、丸めるのも避けようと思えば避けられた。ただ餅を食うことだって可能だった。
だが、「みんなのため」に作られたものをただ受け取るのでは、居心地は決して良くならなかっただろう。
「みんなのための仕事」を通して、人々に受け入れられたのだ。
つまり、仕事をとおして、仲間とつくる、ラテン語の「societas」の観念に近いことが起きたわけだ。

室越 龍之介 Murokoshi Ryunosuke
アンソロポロジスト、ライター。専攻は文化人類学。九州大学人間環境学府博士後期課程を単位取得退学後、在外公館やベンチャー企業の勤務を経て独立。個人ゼミ「le Tonneau」を主宰。法人向けのリサーチや経営者やコンサルタント向けに研修や勉強会を提供。Podcast番組「のらじお」「新日本駄洒落協会」を配信中。
イラスト @Naoto Takamatsu

