MADE IN JAPAN #2

メイドインジャパンという言葉には、
ただ単に「日本で作る」という意味だけではなく、いろいろな意味が含まれていると思います。
例えば伝統産業においての意味、オンリーワンの技術という意味。
高度成長期において、ものをつくり続けた人からうまれた言葉の意味。
世界で輝き続けている言葉です。

しかし僕ら世代、それ以下の「ものをつくる人」にとってその意味は何をなしているのか?
これからも、輝かしく、誇れるメイドインジャパンになり得るのか?
そこに「YES」とは言えない自分がいます。

働き方も多様になり、その答えも様々で一概には答えられませんが、よりコントラストが大きくなったと思います。
いわゆる一品もののハンドメイド作家としての働き方、グローバルに大きくビジネスを展開する企業。
さまざまな働き方が存在します。

ビジネスの発展には小さい規模(ハンドメイド)から資本を得て、より規模を拡大していく形が基本です。
しかし、僕はある規模感に移る段階で極端にその障壁が高くなると感じました。
いまあるものつくりの取り組みでは個人ができる範囲はあまりにも少ない反面、行わなければならないことが多すぎるのです。
競争というなかで複雑化した「商い」の姿には、個人が戦っていくにはあまりにもリスクと結果が伴わないことになっています。
ただ単に「人に喜んでもらいたい為に物を生み出し、感謝される」ということがあまりにも困難になってきています。
「若いものつくりの人が少なくなってきている」言われているのもその点に原因があるかも知れません。
日本においてのものつくりの現場がコストという言葉に翻弄され、疲弊し続けている中、
メイドインジャパンの言葉だけが輝いているような気がしています。

僕が訪れる製造現場には若いスタッフをあまり見かけません、中・高年代の方たちが主に働いています。
懸命に取り組み素晴らしい製品を生み出してくれる職人の方。しかしその状況は時間とともに窮地に立たされます。
いつか来る後継者不足、そこに働く者がいなくなること、現場を見て回るといつも不安視する声が聞こえます。
国内で作ることができなくなる現実は差し迫っています。

今、この問題はものつくりに携わる多くの中小メーカーが抱えるものだと思います。
若い世代へ繋げるような「ものつくりの姿」とは何か。
先述の「未来に向けたメイドインジャパン」を行い続けることはその解決の入り口だと考えています。

モノを創り出す楽しさ、
人に使ってもらい喜ばれる嬉しさ、
使う楽しさ、
持つ喜び。

その感情や仕組みは、はるか昔から人の意識に存在する、人間活動の根幹ではないかとおもいます。
その「つくる」ことが時代によって淘汰されているなか、
純粋につくることを生業として成立しにくい現実をどう変えていけるのか。

大きい課題ではありますが、行うべきことだと考えています。
「喜んでもらいたい為に物を生み出し、感謝される」素晴らしさは人の為にあるのだから。

1488277_434205656705288_1373332964_n